落ち込み
現代人が抱える悩みや日々わいてくる心のもやもやに、
多くの人とその人生に向き合い、心を癒してきたあの人がアドバイス。
今回の回答者は、禅宗の僧侶・宇野全智さんです。
Edit : Ayumi Sakai
人生の折り返し地点にさしかかり、「これからどう生きよう」「今の暮らしを淡々と続けていいのか」と迷っています。これまでの人生が取るにたらないものに思えて、落ち込むことも。どうしたら迷いが晴れるでしょうか。
「何者かになりたい」という欲求は
尽きることがない
「自分は何者かにならなければならない」という固定観念や「何かを達成したい」という思いにとらわれ、心を苦しめてはいないでしょうか。
現代に生きる私たちは、「人間は向上心や理想に突き動かされて成長し、立派になっていく」と考えています。しかし、禅の視点で見ると、その生き方は何者かになることを未来に先送りする人生になり、常に満たされないというあやうさをはらんでいます。
なぜなら、「何者かになりたい」「向上したい」という欲求は、どこまでも止まないものだから。会社で昇進したい、起業したい、もっと収入を増やしたいといった目標も、それが達成されると喜びもつかの間、「では次はどうする? 何を目指す?」となりがちです。
心の在り方や行いを見つめ直し、
”今この瞬間”を丁寧に生きる
禅では、「何者かにいつなるのか」を問うとき、「この瞬間、仏のような素敵な人でいられたか」を考えます。例えば、「今、『やさしい人だな』と言われる自分でいるだろうか」とか、鏡を見たときに「今日の自分はいい顔をしているな」と思えるかにフォーカスします。未来ではなく、今この瞬間の、心の在り方や行いの中に「なりたい自分」を置くのです。
これには、禅における時間のとらえ方が関係しています。禅では、時間を過去・現在・未来ではなく、「今の連続」と考えます。過去は記憶の中にしかなくて、すでに存在しないものであるし、未来は実に不確かなもの。明日は必ず来るとは限らず、今日死んでしまうかもしれない。そんなふうに儚い人生の中で、人は生きている。だからこそ、5年10年先を見て何者かになろうとするのではなく、今この瞬間に「なりたい自分」を実現することに集中する。
仕事の場面においては、同僚や後輩との接し方、声のかけ方、書類の渡し方、気配りの仕方の中で「なりたい自分」を実現し、丁寧に生きることを心がければいいのではないでしょうか。
仏らしく生きれらる日が
1日でもあれば、それでいい
自分の人生は取るに足らないもの」……本当にそうでしょうか。そのような思いが頭をもたげても、「あなたと一緒にいられてうれしい」「あなたが大好き」「あなたに出会えてよかった」と、家族や友人、仕事仲間などが思ってくれた瞬間があるならば、そのことを大切にして生きていくことが大事なのだと思います。
『修証義(しゅしょうぎ)』という有名なお経の中に、「100年生きて、つまらない日常に追われた人生だったとしても、仏らしく生きれらる日が1日でもあれば、それでいい」と説く一節があります。「頑張っていたな」「あの瞬間の私は素敵だったな」と、キラキラした存在として心に残る自分をもっと大事にしましょう。
「人としてどう在りたいか」を
考えてみる
目標や向上心を持つにしても、その質を高めることが大事だと思います。偉くなりたいとか、社会的に評価されたいといったものではなく、「自分はどういう人間で在りたいか」に重きを置く。人として憧れる人や尊敬する人の生き方を改めて見つめ直し、そこに近づいていくのもいいでしょう。
自分が階段を登ることよりも、心の在り方や行いを磨くことに目を向けてみる。そうすれば心も落ち着き、周りからの評価や結果も自然についてくるでしょう。
あなたは何者になりたいですか?ーーー。それを丁寧に考えてみてください。
薬膳の世界では季節を5つに分け、
それぞれに対応する臓器があると考えますが、
秋は「肺(はい)」の季節。
肺は呼吸によって全身に「気」を巡らせる役割を持ち、
「悲しみ」や「憂い」といった感情と関係しています。
秋になると、もの悲しくセンチメンタルな気分になるのは
乾燥で肺に負担がかかっているのも原因のひとつです。
また、悲しみの感情に振り回されることも、 肺を弱らせる原因になったりします。
「理由もなく、何だか悲しい」と感じたときは、
お疲れ気味な肺を労わる料理を作りましょう。
肺にいいのは「白い食材」と言われていて、
れんこんもそんな素材ひとつです。
湯気がやさしくふんわり立ち昇る蒸し料理で、
心も体もホッとさせましょう。
Styling : Yuko Hama
Text : Noriko Tanaka
Edit : Ayumi Sakai

Key 食材 れんこん

切り方や調理法によって、さまざまな食感や味わいが楽しめるれんこん。輪切りにするとシャキシャキしますが、縦に包丁を入れるとホクホク、しっとりした食感が楽しめます。糸を引くような粘り気は水溶性食物繊維のムチンで、たんぱく質の吸収を高めるとともに、胃の粘膜を保護してくれます。

RECIPE
理由のない悲しみに効く
「れんこんと豚肉の養生蒸し」
薬膳の世界でれんこんは咳や痰に効くと言われ、空気が乾燥する秋にとくにおすすめの食材のひとつ。秋から冬にかけてが旬で、甘味やうま味がぐんと増しています。 元気がないときに、豚肉は頼れる食材です。生命力を高め、血を補い、体に潤いを与えてくれます。ビタミンB1が豊富で、疲労を素早く回復してくれます。豚肉に発酵調味料である塩麹をまぶすことで、たんぱく質が分解されて消化吸収しやすくなり、食感もやわらかに。
蒸すうちに昆布の塩気とうま味、豚肉のコクがれんこんに移って、特に味付けをしなくても、満足いく味わいになりますよ。
材料(2人分)
れんこん … 300g
豚肩ロース肉(焼き肉用)… 150g
小ねぎ … 1本
昆布(20×15㎝ほど)… 1枚
酒 … 大さじ1
A
しょうが(すりおろし)… 1片分
塩麹 … 大さじ1~1と1/2
- れんこんは皮ごと縦に包丁を入れ、食べやすい大きさに切る。小ねぎは斜め切りにして、水にさらす。
- ボウルに豚肉を入れ、Aを加えてもみ、なじませる。
- ペーパータオルに酒をしみ込ませ、昆布の表面全体を拭く。
- 耐熱皿に3を敷き、れんこん、2をのせる。フライパンの底に安定用にペーパータオルを敷き、その上に耐熱皿をのせ、皿にかからない深さまで水を注ぎ、ふたをする。
- 4を中火にかけ、れんこんと肉に火が通るまで10分ほど蒸す。
- 昆布ごと器に盛り、水気をきった小ねぎをのせる。好みで五香粉適量(分量外)をふってもよい。
れんこんは縦に切ると
輪切りにしたものにくらべ
ほっくりとした食感に。
水にさらすことで変色を防ぎます。
Have a try !
45㎡とコンパクトな住まいながら、どこの扉を開けても、
ぎっしりとものが詰まっていることなく、見えない場所までも余白の美しさを感じる広瀬さん宅。
それは暮らしの裏方ともいえる場所・キッチンや洗面所でも同じです。
リビングと同様に、「ないほうが気持ちいい」ものや、
「あれば便利だけれど、なくてもいい」ものを持たないように心掛けています。
例えば、調味料に付いているラベル。
冷蔵庫を開けるたびに目に飛び込んでくる雑多なヴィジュアルは、
ないほうが気持ちいいからラベルはすべてはがすことに。
あれば便利なごみ箱も、なくてもいいものだから、持たずにすむように工夫。
もともと付いてしまっているから、あるのが当たり前だから、と流さず、
小さなものでも自分にとってのノイズを取り除く。 そうやって広瀬さんの暮らしは、
より広瀬さんにあった心地のいいものになっていくのです。
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Text : Kyoko Kato
Edit : Ayumi Sakai
使うものを、使うときだけ出す
キッチンでていねいに紅茶をいれる広瀬さん。使うときだけ、必要なものを上下のキャビネットやダイニングの食器棚から取り出し、作業を開始。いつでもカウンタートップはすっきりしているので、せせこましく動く必要がなく、所作も自然にゆったりした印象に。ものが少なければ、全部しまうことも簡単です。キッチンではなぜかバタバタしてしまう……、そんな人は、まずは、ものを減らすことから始めてみるのも有効な手段かもしれません。
手放しやすいプロダクト食器がメイン
ダイニングに造り付けられた、食器棚として使っているキャビネット。経年劣化のためか、ある日、突然、棚板が落ち、大切な食器がかなり割れました。「十分に減らしたつもりだったけれど、『もう少し減らしましょう』というメッセージだと捉え、前向きに取り組みました』。一時期は、作家ものの器もありましたが、今は、買い足しがしやすく、人にもゆずりやすいロングセラーのプロダクトがほとんどに。
「昔好きだったものが、今も好き」と気がついた
〈ロイヤルコペンハーゲン〉のカップ&ソーサーは割れずに残ったもの。「食器がたくさん割れたことで気づいたのは、30年ほど前に好きだったものが、今も変わらず好きなこと」。一部、割れた食器の買い直しもしましたが、数十年前に購入したものでもまた買えたことに、ロングセラーのプロダクトのよさを再認識したそう。
心の負担にならないよう、食べ切れる量だけ
引っ越しを機にコンパクトにしたという冷蔵庫。にもかかわらず、中を開けてもガラーンとしています。「あれを食べなければと追われたり焦ったりするのが嫌なんです」。すぐに食材を買えるエリアに住んでいるおかげではありますが、今は立地のメリットを生かして、1〜2日で食べ切れるものだけ。「足りないくらいが心地いい」という状態をキープしています。
市販品のラベルをはがしてノイズを減らす
持っている調味料は冷蔵庫の扉に収納しているもので、ほぼすべて。おいしいのはもちろん、鮮度のよいうちに使い切れる小さいサイズ、黒のキャップ、ラベルがはがしやすいもの、を条件に選んでいるの で見た目もすっきり。「ちょっと病的かしら?」と広瀬さんは苦笑しますが、揃いの瓶を買って調味料を移し替えるという手間をかけずとも美しく見えるので、合理的な選択といえそうです。
必要なものは、そんなに多くない
洗面所のミラーの裏に付いてる収納棚には、基礎化粧品やメイク用品を収納。余白たっぷりのスペースに、まるでショーケースのように美しく整然と並んでいます。日々使うものだけに厳選されているので、必要なものにパッと手が届いて、戻しやすい。朝の準備も、寝る前のケアもゆとりをもって取り組めそうです。
45㎡の広瀬さんのお宅を見渡すと、リビングはおろか、キッチンにもごみ箱がないことに気づきます。
ごみ箱の代わりにしているのは、〈amazon〉でまとめ買いしているという小さな白い紙袋。
「軽い防水加工もしてあるので、少々湿った生ごみでも大丈夫。
各階にごみ捨て場がある集合住宅なのもあって、こまめに捨てられるので
ごみ箱は持たなくてもよくなりました」。
積極的に家に置きたいかと問われれば、ごみ箱はそうではないものの代表かもしれません。
”あってあたりまえ”と、広瀬さんは決めつけないから、ものが増えない暮らしになるようです。
「本当の自分って何だろう?」そんな自分らしさへの問いや、
人間関係にまつわる悩みの一助となる「分人主義」という考えをご存じでしょうか。
提唱者である小説家の平野啓一郎さんに、
分人主義の観点から見る「生きづらさ」の手放し方についてお聞きしています。
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Text : Akari Fujisawa
Edit : Ayumi Sakai
「好きな分人がひとつでもあれば、
自分を全否定しないで生きられる」
1998年ごろから2010年代にかけて、自死率の増加が社会問題となり、僕自身も身近な人たちを亡くしています。深刻なこの状況を、自己肯定と自己否定の感情面から向き合いたいと思うようになりました。
自死は、究極の自己否定行動です。自己肯定の感情が希薄になっている、つまり自分を全否定している状態です。そういうときに、分人を円グラフのように客観的に見ることができれば、自分自身を全否定せずにいられるのではと考えました。
「自分を好きになりましょう」というのは、なかなか難しいものです。だからこそ、自分をたったひとつの「個人」で考えず、「Aさんといるときの自分」「Bくんといるときの自分」というように、一人ひとりの分人として切り分けてみる。そうすると、「このときはちょっと好きな自分でいられる」という分人があるかもしれません。

もし、誰とも関われない、どこにも居場所がないと思うのであれば、具体的な活動について考えてみるのはどうでしょう。会社にいるときの自分は嫌だけれど、散歩しているときの自分はそんなに嫌じゃないなと感じる人がいるかもしれません。
本を読んでいるとき、「推し」の動画を見ているとき、ゲームをしているとき、SNSを見ているとき。活動で考えてみると、意外と「それをやっている時間は好き」と思えるものがありませんか? それこそが「好きな自分」でいられる分人です。わずかでも、ひとつ、ふたつと見つけることで、そこを足場に生きていけたらと思うのです。
僕は学生時代、詩や小説を読んでいるときの自分は嫌いではありませんでした。必ずしも人との関わりである必要はなく、ゲームのようなバーチャルの世界に分人を求めてもいいと思います。ただし、その分人だけに捧げず、多重な関係に帰属することはリスクヘッジの面でも大切です。そういう意味でも、自分を客観視して考えられるのも分人のいいところかもしれません。 どのような状況のなかで、どういった自分になっているのかを把握することは、自己肯定と自己否定を考えるうえで、とても重要だと感じています。この考えも、分人主義に思い至る動機のひとつになりました。

「他人の好き」から「自分の好き」を
見つけるのはごく自然なこと
好きなものがどうしたって見つからない人もいます。それはそれで、いいんです。すぐ見つけなくちゃいけないものでもないし、あるとき突然、雷に打たれるように出会うこともあります。待つしかない、けれど、ただ待っているだけでも見つかりません。
だから、ちょっと人が集まるようなところに行ってみるとか、飲み屋に行くとか、本に興味があるならオンライン読書会に参加してみるとか、小さく動いてみるのをおすすめします。ぼんやりAmazonの画面を眺めているだけでも、よくわかないけれどすごい熱意のレビューに出会うこともあるし、そこから興味を持ってもいい。「たったひとつの好きを見つけるぞ」と、難しく考えないで、なんとなくでいいと思いますよ。
人の熱度に巻き込まれてみるというのも、いいかもしれません。 社会学者ルネ・ジラールの「三角的欲望」という理論があります。人間は、ある対象に対して一対一で好きになることはなく、たいてい第三者が良いと言うことで、その対象がよく見える。恋愛で、友だちが好きだと言うのを聞いているうちに、自分も好きになってしまう、という例の現象です。
一直線に好きなものを探そうとすると見つかりませんが、よいと言っている人を経由することで見つけやすくなります。
「周囲の『好き』に流されるのは
自分の軸が定まっていないのではありません」
SNSのような周囲の声に影響されて「好き」を見つけたときに、「本当の自分の好きなものに出会えていない」「人の言うことに左右されている」などと言われるのだとしたら、それこそが、「本当の自分」という幻想ですよね。
「本当の自分」があって、本当はこういうものが好きで、と自分を限定し、固定しています。そうすると、いろいろなものに対してオープンになれないんです。自分の好きなものはこれだと言い切れる人は、見方を変えれば柔軟さがないし、好きな世界が狭いとも言えます。
僕は、「好きな小説10選」みたいな質問に答えられないんです。気分や時期によって変わってしまう。決められないですね。

「役に立つ」のは誰のため?
役立たずな人間なんて、どこにもいない。
好きな分人があっても、自分が何の役にも立てていないと悩む人にお伝えしたいのは、多くの人の考える「役に立つ、立たない」という概念は、巨大な資本主義社会のなかで役に立つかどうかだということです。一部の人に役立つという状況なのに「公共的に」「みんなのために」役立つ人のように言われています。これでは非常にストレスですし、そもそも人間を有用性の観点で判断するのはおかしなことです。
ただ、役に立つという感覚は、否定できないものでもあります。家族や友人が困っていたら、なにかしてあげたいと思うし、してもらったらやっぱりうれしい。感謝されると、自分の存在が必要だと実感できる。そういう意味で、僕たちはみな対面レベルのコミュニケーションにおいて、誰かの役に立っているし、それは肯定的に捉えられています。役に立たない人間なんていないんです。
詩人のボードレールは、「役に立つ人間というのが、自分にはいつも醜悪に感じられていた」と書きましたが、学生時代の僕はとても感動しました。当時は、自分が役立たずな気がしていたんですね。ボードレールなんて浪費癖で生活が破綻し、当時の資本主義が発展してゆくフランス社会では、相当な『役立たず』です。でも彼は、その後200年以上に渡り、孤独な人たちの心をなぐさめ続ける詩の傑作を生み出しています。
役に立つかどうかは、限られた状況での他人の勝手なジャッジですから、別の場所に移れば役に立てることはたくさんあります。
もし、今の場所が苦しいと感じているならば、物理的に距離をおいてほしいです。分人の構成比率を変えるのです。会社であれば上司にかけあって部署を移動するのもひとつですし、転職したっていい。
ただし、どうしようもないときは、まずは自分自身の身を守るために緊急避難することを大切にしてください。考えたり、なにか行動を起こしたりするのはそのあと。最優先は、自分の人生を持続していくことです。

「嫌なことがあったら、
落ち込むよりムカついて人に話してみる」
僕自身は、嫌なことがあると落ち込むよりもムカつくことにしています。落ち込むと、どんどん気が滅入ってきますが、腹を立てるとエネルギーが湧いてきます。
パワハラまがいのことをされたら、落ち込まずに「あのパワハラ野郎!」と心の中で怒ったり、馬鹿にしたりしたほうがいい。人に当たるのは良くないですが、勝手に一人で怒っている分には、誰にも迷惑が掛かりません。そして、「こんなことがあってね」と、周囲の人に話しまくるんです。「ひどいねー」と言われると、そうだよな、ひどいよなと、だんだん元気になってきます。そのうち、どうでも良くなってくるんです。あるいは、然るべき行動にも出るべきでしょう。
現代社会は、SNSの言葉も落ち込みの原因になりますが、僕は基本的に言いっぱなしで反応は見ません。10人中9人が褒めてくれても、たったひとりの罵倒で嫌な気持ちになることも、やっぱりありますから。そういうときほど、落ち込むより『なんだ、こいつ?』とムカつくことにしています(笑)。あと、その酷いことを言ってる人のアカウントを見に行くのも有効です。もしその人が、全方位的に悪口を言い散らしている人だったりするなら、なんだ、そういう人なのか、こちらが特に悪いわけでもないのかと納得できますので。
もちろん、深刻な問題であれば相談する必要がありますし、分人という概念が、どんな悩みにも万能なわけではありません。でも、気持ちは白か黒かではなくグレーゾーンの広いものですから、考え方で救われる部分もあります。
嫌な気持ちになったり、落ち込んだりするのは自分の中のひとつの分人であり、自身の本質すべてではありません。健康を維持しながら、自分が好きでいられる場所や人を見つけていけたらいいですよね。
自分の心と身体を守り、リトリートしてくれるような空間。
エッセイストの広瀬さんのご自宅は、そんな場所です。
45㎡ほどのコンパクトさながら、必要だと感じるものだけを残し、
ノイズになりそうなものを手放すことで、
今の自分にフィットする住まいをつくり上げています。
部屋を見渡しても、収納の中を覗いても、色や派手なパッケージが目に飛び込んできたり、
好きじゃないと思うものがない状態。
つまり、広瀬さんにとってのノイズが、どこにもありません。
洋服の量も、どこまでも少なめ。おかげで持っているものを把握しやすく、管理もラク。
心の負担にもなりません。
「『足りない』のかもしれません」と笑みを浮かべながら話す広瀬さん。
でも、そのほうがたくさんものを持つことよりストレスが少なく、ずっと充足しているーー。
広瀬さんのすっきりとした穏やかな表情が、そう物語っています。
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Text : Kyoko Kato
Edit : Ayumi Sakai
出し入れにストレスがない、余白の収納
「それが条件だったわけではないけれど、コンパクトな割には収納の多い家で」と広瀬さん。とはいえ、ぎっしり詰め込んでいるから部屋がすっきりしているわけではなく、クローゼットの中にもたっぷりの余白。なんと来客用の椅子まで収まっています。布団もゆとりをもって収納。左の上3段には、白のたとう紙で揃えた着物を。「出し入れにストレスがないのが私にとっては大切で、それを可能にするのが余白です」。
「少なくていいんだ」という気づき
丈の短い洋服をかけているクローゼット。通年でブラウスは3枚、ニットは5枚、パンツは5本など、本当に少数精鋭。「5~6年前に、あこがれのデザイナーさんが7枚で着回しているとおっしゃっていて。それでいいんだと思うようになりました」。靴下の数まで空で言えるなど、持ちものはすべて把握。色は決めているわけではないそうですが、自然に白、黒、グレーのトーンで揃っています。
ベッドを手放し布団生活に。色は白に統一
布団もクローゼットに収納。本体もカバーもすべて白のおかげで、布団から感じる生活感のようなものはまったくありません。「今の布団って、昔と違ってすごく軽くなってるんですよ」。出し入れもラクで、快適に布団暮らしが続けられるゆえんです。カバーだけでなく、敷&掛布団、枕もまるっと洗濯できるものをセレクト。
眺めて景色がいいことも大事
クローゼットの中にポリプロピレンの引き出しケースを入れ、こまごまとした文具類など、雑多なものを収納。扉を開けたときにごちゃっとしたものが目に入らないようにしています。上にのせた〈IFUJI〉のオーバルボックスには、爪切りなど小さな生活の道具を入れて、持ち運びしやすいように。クローゼット内とは思えぬ、美しい風景になっています。
机は持たずダイニングテーブルで仕事を
執筆をするのが広瀬さんのメインの仕事。長くパソコンと向き合いますが、専用デスクは設けず、ダイニングテーブルと兼用です。コンパクトなものに買い替えたというテーブルはアルネ・ヤコブセンによるデザイン。25年使っているセブンチェアと同じデザイナーです。「好きなものは案外変わりませんね」。
メンテナンスしながら長く使う
大きなソファは手放したものの、アルネ・ヤコブセンがデザインしたスワンチェアは、25年間変わらず使い続けています。「猫と暮らしていることもあって、生地が傷むのは少し早くなってしまうのですが、3回目の張り替えを終えたばかり。メンテナンスをきちんとしてくれる製品を選ぶことも、1つのものと長くつきあえることにつながります」。ちなみに寝るときは手前の空きスペースに布団を敷いているそう。
持つものの量が全体に少なめの広瀬さんですが、
ほかのものに比して本は多め。本棚はなさそうと思って尋ねると、なんと玄関へと誘ってくれました。
ふつうなら靴棚として使われるであろう扉を開くと、
たくさんの本が!本は本棚にという固定観念には縛られません。
「かけてくれるカバーのデザインが好きだから、本は必ず蔦屋書店で買います」。
どんなに小さなものでも、自分の”好き”を徹底しているから、
本が並ぶ様子もすっきり整然としています。
「本当の自分って何だろう」「わたしらしくいられる場所が見つからない」
そんな思いがよぎったことはありませんか。
あるいは現在進行形で、もやもやとした思いを抱えている人もいるかもしれません。
自分らしさへの問い、そして人間関係にまつわる悩みを解きほぐす一助として、
「分人(ぶんじん)」という概念を提唱しているのが、小説家・平野啓一郎さんです。
今秋、劇場公開となる「本心」をはじめ、文学を通じて分人主義を描いてきた平野さんに、
現代社会で感じる「生きづらさ」から脱却する手がかりをお聞きしました。
Text : Akari Fujisawa
Edit : Ayumi Sakai

「分人dividual」とは、「個人individual」に代わる新しい人間のモデルとして提唱された概念です。
「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。
これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。
引用:「分人主義」公式サイト:https://dividualism.k-hirano.com/
「本当の自分」は、ひとつじゃない
僕のまわりでも40歳前後あたりから、メンタルから体調を崩す人、悩みを抱える人が増えてきました。原因はそれぞれにありますが、多くは人間関係のようです。コミュニケーション能力が大切だとさかんに言われる世の中で、それに思い悩む人がたくさんいます。
その理由として、「たったひとつの存在である個人」というこれまでの概念が、現代を生きるわたしたちとの間に、齟齬を生じさせているのではないかと感じています。
これまでは、中心に「本当の自分」があり、対人ごと、仕事や環境ごとに違った仮面(ペルソナ)をつけ替えるようなイメージをもってきました。これでは、本当の自分以外は、「仮の自分」「嘘の自分」に思えてしまいますが、そんなこともないはずです。
それよりも、対人関係ごとに分化する自分自身が、複数存在していると考える方が自然なのではないかというのが、「分人」の概念です。言い換えれば、すべての分人が「本当の自分」なのです。
僕たちは「本当の自分とは何なのか」ということを強く問われる社会に生きています。特に10代の頃は、自我の確立を通じて、「自分らしく生きる」とか、「本当の自分を見つけよう」なんていうメッセージにたくさん囲まれていました。「魅力的な人生=自分らしい生き方」というロールモデルは、メディアでも取り上げられています。
しかし実際には、「本当の自分」「自分らしさ」なんてわからない。だからこそ「自分探し」と称して旅に出たり、迷ったり、悩んだりするわけです。

コミュニケーションがうまくいくのは、
自分らしさを失っているからなのか?
「たったひとつの本当の自分」という考えが、悩みを生み出しているのではないか。そう思えるのには、大きく分けて、ふたつの要因があります。
ひとつは、社会の多様性を認めようという考えの広まりです。世の中にはさまざまな性格、背景の人がいる。ですから対人関係においては、いろいろな人に応じたコミュニケーションをおこなう必要があります。あの人とはこういう感じで話すとうまくいくけれど、この人とはなぜかうまくいかない、だからまた別の話し方で……という経験が誰しもあるでしょう。その人ごとの「人格の分化」が必要になっているのです。
しかし一方で、そうやって対人関係ごとに変化していく自分が、人の思惑に翻弄されて、自分らしく生きていないように思えてしまう。周囲とうまくやっていけば、なんだか自分らしさが失われていると思えてくる。ここに、矛盾が生じています。
これは、「本当の自分」が「たった一つある」という考えに基づいています。

「本当にやりたいこと=生涯の仕事」が生んだ
「何者でもない」苦しさ
もうひとつは、職業選択における終身雇用です。「たったひとつの職業を選び、20~60代までの約40年間、同じ仕事を続けていく」というモデルですね。近年は急速に変わりつつありますが、長く強固に根づいてきました。
10代の頃にいろいろな関心を絞り込みながら「本当に自分がやりたいこと」を一つに見定め、生涯取り組んでゆく。そのために、職業そのものが、アイデンティティの中心になります。 しかも、本当にやりたいことが見つかったとしても、必ずしも就職できるとは限りません。そうなると、「自分は何者でもない」というアイデンティティの危機につながります。あるいは、本来の希望とは違うことをしている不本意な自分に対し、不安を覚えてしまうこともあるでしょう。
最近はインターネット環境の向上で、いくつかの仕事を掛け持つことが容易になってきました。官民挙げて副業、兼業を後押しするような風潮さえあります。昔はどんなにピアノが上手でも「それで食っていくなんて不可能だ」と言われましたが、今ならサラリーマンとして働きながら、ピアノの動画を配信できるし、収入につながる場合だってあるでしょう。自分をひとつの面だけに絞り込まずとも、多面的に生きていけるようになりました。
いろいろな仕事をしながら、いろいろな関わりをもつ自分というものを、肯定的にとらえていく。そうやって、複数の分人を持つことは、リスクヘッジにもなるし、自分の居場所が見つかることにもつながります。
複数の要素で構成されているのが「自分」であり、分人の集合体であること。そして、その比率は変化していくのもまた当然のことだというのが、分人主義の考えです。

悩みの半分は他者のせい。
分人には、自分を変える可能性がある
分人という考えを取り入れたことで、僕が感じるいちばんの変化は、人との関わり方です。分人は、関わる場所や人により変化しますから、自分の分人は、他者との相互作用で生じるものです。そうすると、人間関係のもやもやは、半分は人のせい、とも言えます。
「自分が本質的にこういう人間だ」と思ってしまうことと、「嫌な人間と関わることで自分の性格がこうなってしまうのだ」と自覚することでは、やはり受け取り方が変わってくると思うのです。
たとえば、子どもを頭ごなしに怒鳴りつけてしまったとき、「自分は本当はこういう人間だったのか」と本質規定すると、自己否定に陥り、そこから違う自分になるのも難しくなります。しかし、状況や関係性によりなりうるのだと自覚できれば、じゃあその状況を固定せず、どうしたら良いのかを考えることができる。
また、自分にとっての嫌な分人と、楽しく好きな自分でいられる分人があれば、後者の比率を増やすことで、相対的な楽しさも増すでしょう。分人には、自分を訂正し変化させていく可能性が開かれている、そこが重要だと思います。
もやもやしたり、イライラしたり、くよくよしたときに、
そこに何が関わっているかを客観視できたなら、心は少し軽くなるかもしれません。
自分を知る、人を知る、時代を知る、社会を知る──。
理解の手助けになるような本を、こころの本屋の本棚から紹介します。
Edit : Ayumi Sakai
感情にフタをしている人が
自分に目を向けるまでの物語実用書
「つらいと言えない人」がどのように心の傷に気づき、向き合っていくのかーー。この本には、カウンセラーの伊藤絵美さんのもとへやってきたクライアントの変化が、生きづらさをテーマにした物語のように綴られています。登場するのは40歳のワカバさんと、48歳のヨウスケさん。
ふたりはタイプが異なるものの、自分の感情にフタをしていることによって慢性的な体の不調を抱えているという共通点がありました。ワカバさんは「まじめないい人」で、自分の感情より人の感情を優先してしまう「自己犠牲」的な面を持っています。ヨウスケさんは社会的地位が高く「オレ様」的な性格で、感情を出すような振る舞いを「レベルが低い」と見下しているがゆえに、自分の弱さを出せず、人に助けを求められません。
紙面の多くを割いて深刻に扱われているのは、ヨウスケさんのケースです。長年の間に染みついたオレ様が根深くて、伊藤さんのことを上から目線で品定めしたり、提案にも難癖をつけてきたり、おそらく周囲からも煙たがられているだろうと想像できる言動ばかり。しかし、それに対する伊藤さんの接し方も、私にとっては本書の見どころでした。上に立とうとする相手に屈することなく、自分が感じた嫌な思いを飲み込むこともない。それでいて、相手のつらさを「ここまでして相手を価値下げしないと自分を保てないなんて、ヨウスケさんも大変だなあ」と、評価や判断を加えずに眺めているのです。
前書きのはじめから「認知行動療法」「マインドフルネス」「スキーマ療法」など専門用語が並びますが、わかりやすいレクチャーも挟まれていますので、どうか読み進めてください。ヨウスケさんやワカバさんの気づきを追体験するうちに、それらの心理療法についてもきっと理解が深まります。
『つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。』
伊藤絵美/医学書院
著者の伊藤さんは認知行動療法(ストレスを対処するためのアプローチ)を専門とするカウンセラー。
本書では、その技法のひとつとしての「マインドフルネス」や、
心の傷に対してより深い認知を扱う「スキーマ療法」を用いて、ふたりのクライアントに向き合う。
感情にフタをするとはどういった状態か。カウンセリングではどんなセッションが行われるのか。
引き込まれる物語と、その中で行われている内容の解説とを、交互に読める構成が特徴的だ。
一冊を通して、自分に目を向けることの大切さが貫かれている。
“LESS IS MORE”。豊かさとは何か?ーー。
そんな哲学や問いかけを私たちに投げかけてくるかのような、
エッセイスト広瀬裕子さんのシンプルな暮らし。
50代後半、香川から東京への引っ越しを機に、
今まで縁のなかった東京・東側の都心に居を構えました。
そこでの暮らしを覗かせていただきながら、
ものを手放すことでもたらされた心の動きについて、お話を伺います。
Text : Kyoko Kato
Edit : Ayumi Sakai
120㎡→45㎡。実験するような気持ちで、ものを手放す
家の中に一歩入ると、心地よい静謐さを感じ、風がすーっと抜けていくようなイメージ。それが現在、広瀬さんが東京の都心でひとり暮らすご自宅です。とてもコンパクトなのに、余白がもたらすゆとりがあり、訪れる人の心までもほっとさせる空気感が漂っています。
1年半ほど前、約6年暮らした高松から引っ越しをし、住まいを1/3までダウンサイズした広瀬さん。以前住んでいた広い家でもシンプルに暮らしていたこともあり、家具はすべて新居に持ち込めたのだそう。
「ソファもベッドも持ってきました。狭いながらも収まりもよかったので、そのまましばらく暮らしていたのでですが、ちょっと体調を崩したとき、これから年を重ねていったら、この状態では柔軟な対応ができないと感じたんです」

家具がびっしり詰まった空間で、家具をよけながらのどこか不自由な暮らし。ないほうがいいかもしれないと感じ、まずはソファを手放し、ダイニングテーブルは小さいサイズに買い替え。ベッド、棚2台も結局手放しました。60歳を目前にしての決断です。母、父と順に亡くし、実家じまいを経験したことも、ものを減らす後押しになったと振り返ります。
家具を手放したあと、1か月ほどテーブルがないという状態も体験。「新しいテーブルの納期との兼ね合いだったのですが、意外になんとかなるものだなと思いました。テーブルは必要ですが、布団生活も、ソファがない暮らしも、今のところ問題なく、快適。ソファがあればいいなと思うときもありますし、もっと年を重ねたらベッドがないのは辛いかもしれない。気持ちは変わる可能性はあるけれど、今は、ある意味”実験”。とにかくやってみて、何が心地いいのかを体感している最中です」

”持っていること”のほうが、負担が大きい
家具を手放したら、手狭だと思っていた同じ部屋なのに、「広い! 気持ちいい!」と感じたのだそう。そして、物量に比例して心も軽くなったといいます。手放すことに多大なストレスを感じる人も多いですが、「持っていることの負担と、手放すことの負担。比べると、私は前者のほうが大きい。『余白が少ない』『ものを管理しなきゃ』と思うほうがストレスを感じてしまうんです」。
自分にとってどっちが快適か、自分はどんな状態が気持ちいいのか、はたまた自分は結局何がしたいのかーー。
自分の心に問うて、自分の心に正直に。「離婚も経て、だれかと生活をすり合わせる必要もなくなりました。今は、自分基準で選ぶことに重きをおいています」。その結果が、広瀬さんにとっての”ノイズだと感じるものがない”、余白のある整った空間なのです。

本当に好きなものを少しだけ。大切に使う
昔から、ものが少ないすっきりとした空間が好きだったということもあり、買うところから厳選するのは、広瀬さんの長年の習慣。心から気に入ったものを選んでおくと、次に使ってくれる人も見つけやすく、ものの手放しやすさにもつながっているよう。「捨てる」という言葉とは無縁で、必ず次に使ってくれる人を探してつないでいます。
また、椅子から爪切りまで、メンテナンスをしたり、職人さんに直してもらったりしながら、長く使っているものも多いのだそう。広瀬さん宅のどこを見ても淀みを感じないのは、「”今”必要な、本当に好きなものを少しだけ、大切に持っている」からなのです。

心が回復しやすいよう、住まいを整えておく
自分という核を持ち、凛と生きているように見える広瀬さんですが、もちろん落ち込むことも、生きづらさを感じることもあるといいます。だからこそ、メンタルが下がったままにならないように、ものの持ち方をつど見直し、家を整えることを大切に思っています。「気持ちを上げるというより、『下がった気持ちを戻せる』ことを意識しています。だから、いかに自分にとって居心地をよくするかに力を入れるんでしょうね。そうやって自分を守っているんだと思います」。
いちばん長い時間を過ごす場所である自宅。その場所から自分にとってのノイズ、つまり、嫌だな、不快だなと思うものをしなやかに取り除いていく。そして、余白を大切にしてゆとりを持つ。そうやって広瀬さんは、まるでリトリート施設のような、心も身体も回復する住まいをつくりあげているのです。
いちばんよく使うバッグは、コンパクトなポシェット。
中には、なんと!財布さえ入っていません。
クレジットカード1枚を直接バッグに入れ、
あとはスマートフォン、めがね、紙幣を入れた紙封筒だけ。
「現金を使う機会も本当に少なくなりました。
財布を持たないと決めると荷物は本当に減りますよ」。
ポイントカードはスマホに入るものだけ、小さなウェットティッシュとエコバッグをポケットに。
”自分基準。必要なものだけ。ノイズはなし”。バッグの中身まで徹底されていました。
9月は下半期への折り返し時期。
年末に向かってスタートを切りたいと思いつつも
何だかだらっとしてやる気が出ず、落ち込む方も多い様子です。
暑かった夏の間に冷たいものを食べすぎたりして、
胃腸が弱まることで、エネルギー不足になっているのが
原因かもしれません。
今回ご紹介するのは、気力を補い、疲労回復を促す
鮭をメインにした、南蛮漬けです。
食欲増進効果のあるみょうがやしょうが、酢の力も借りて
暑さで疲れた体にも、食をそそる一品に。
南蛮漬けというとアジが定番ですが、
調理がしやすく、秋に旬を迎える
生鮭の切り身を使って作ってみました。
Styling : Yuko Hama
Text : Noriko Tanaka
Edit : Ayumi Sakai

Key 食材 鮭

鮭の赤い色素「アスタキサンチン」は、高い抗酸化作用があり、疲労回復や美肌効果などで知られています。薬膳では気血を補い、お腹の冷えや胃弱を改善してくれることで、気持ちをアップしてくれると考えます。また水分代謝も上げてくれるので、むくみ解消にも役立ちます。

RECIPE
落ち込みを改善
「鮭とみょうがの南蛮漬け」
夏の間じゅう冷房を浴びていると、9月に入ってから冷えの疲れが胃腸に出ることがあります。体の外側は暑さを感じていても、体の中はシンと冷えていて食欲も衰え、気持ちも引きずられて落ち込みがち……。そんな人に、お腹を温めて元気を補ってくれる鮭は、強い味方になってくれます。
加える野菜は、みょうが&しょうがでシンプルに。すっきりと大人っぽい味わいに仕上がります。みょうがは血の巡りをよくして、解毒作用でも知られます。「6個も入れるの?」と思いがちですが、漬けているうちにしんなりして、ペロリと食べられてしまいます。また、揚げたてアツアツのさけを加えることで、色味も鮮やかに。なお、この熱で砂糖も溶けるので、南蛮だれはレンチン不要で、混ぜるだけで手軽にでき上ります。
材料(2人分)
生ざけ(切り身)… 2切れ
みょうが … 6本
すだち … 2個
しょうが … 2片
塩 … 小さじ1
こしょう … 小さじ1/2
A
酢 … 50mℓ
砂糖 … 大さじ2
薄口しょうゆ … 大さじ1と1/2
出汁 … 大さじ7
赤唐辛子(輪切り)… 1~2本分
小麦粉、揚げ油 … 適量
- 鮭はキッチンペーパーで水気を拭き、塩、こしょうを振り、食べやすい大きさに切る(骨があったら取り除く)。みょうがは薄切りにして水にさらし、水気を拭く。すだち1個は輪切りの薄切りにする。しょうがは1片をせん切りに、1片はすりおろす。
- 底が深めのバットまたはボウルにA、すりおろしたしょうがを入れ、よく混ぜる。すだち1個分の果汁を絞り入れる。
- 1の鮭はキッチンペーパーで出てきた汁気を再度拭き、小麦粉をまぶし、余分な粉をはたく。揚げ油を中温に熱し、からりと揚げ、熱いうちに2に入れる。
- 1のみょうが、せん切りのしょうが、輪切りのすだちをのせ、表面全体にラップをかぶせる。冷蔵庫に入れ、1時間以上なじませる。
POINT
落としラップをすることで
しっかり味がなじみます。
鮭は最後に高温で揚げると
漬けても程よい食感が残ります。






